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足平通信 2004年11月
<大正の面影を残す本店>
創業時は明治時代に小泉八雲が滞在したことで知られる浜通りにありまし
たが大正時代のおわりに現在地に移りました。屋根の上の看板は蒲鉾です。
■店の成り立ち
江戸末期の文久三年に初代平吉と二代目松蔵が蒲鉾屋として創業を始めました。時代は明治にかわる五年ほど前ですがまだ男女共まげと着物の時代です。当時の産業は漁業、農業が中心で、鰹節などは作られていましたが後年盛んになる水産加工業はまだ緒についたばかりでした。当店も焼津周辺では最初の蒲鉾屋として、豊饒の証しである小魚の大漁を背景に海岸に水揚げされたキス、イシモチなどを煉製品に加工する技術を身に付けていったものと思われます。なぜ蒲鉾屋を始めるに至ったかはっきりとは判りません。他所の土地で身に付けた知識があったのか、当時焼津から江戸に材木を運んだ廻船問屋経由の情報を参考にしたのか、いずれにせよ試行錯誤の出発であった事は想像に難くありません。
◆屋号の由来 
屋号をつける時に足という蒲鉾の弾力を表わす言葉を選んだのは良い着眼でした。蒲鉾の品質の良し悪しは、味は勿論のこと、強く自然な弾力を素材から引き出せるかどうかが決め手です。足といえば蒲鉾という連想ゲームができるほど密接な関係なのです。現在では一般的な表現ではありませんが、辞書には足の項目に餅などのねばりを表わす言葉とありますので、当時、食べ物の弾力のことを足と言うのもそれほど不思議な表現ではなかったのでしょう。平は平吉の一字をあてたものです。足吉や足蔵も候補にあがったのでしょうが足平で正解でした。ただ電話で会社名を言う時何回も聞き返されるのはちょっと困りものですが。
◆蒲鉾の話 
創業時の当店の蒲鉾は半月型のものだと伝えられています。室町時代の文献によると、正しくは文献を調べた本によるとですが、蒲鉾の語源になった蒲の穂をかたどったものが蒲鉾の最初の形と伝えられていますが、同じ本によれば板や折敷にすり身をつけて加熱したものがその後まもなく登場していますので、これが板付け蒲鉾の初期の形であったようです。当店の蒲鉾は蒸し蒲鉾ですが、この蒸し蒲鉾というものは幕末の江戸に現れたといわれています。当店では明治初期から製造され始めました。手作業の時代、板付け蒲鉾は付け包丁と呼ばれる刃のない細身の包丁を使って一枚づつ作られていましたが、昭和初期に蒲鉾の成型機が開発され現在は機械での成型が一般的になっています。
よく兵舎などの建物の形を蒲鉾型といって蒲鉾の形のイメージは固定化したものですが、これは関東の蒸し蒲鉾の形であり関西方面の焼抜き蒲鉾はもう少し平たい形です。形のイメージで思い出した話があります。静岡市の山間部で丹精した良いお茶を作っている家族経営の茶農家を訪れた時に、茫々とした感じの小さな茶畑に案内されました。茶畑は丸く刈ってあるものと思いそのことを伝えると、丸いのは機械で刈ってあるもので、手で摘む茶の木はこんな形になると教えられ目から鱗の経験でしたが、そうなると映画で次郎長一家が丸く刈られた茶畑を背景に歩けば変な話になるぞと腕組みしながら考えたものでした。
◆蒲鉾の作り方
本によれば江戸時代の蒲鉾は調味料に塩、酒、鰹節のだし汁を使い人力で杵を使い大きなすり鉢ですり身を作っていたようです。当店の昔のしおりにはすり身を塩で味付けし成型したとありますが、当時焼津には鰹節屋も造り酒屋もありました。塩だけでなくこのふたつを使ったことは十分考えられます。現在当店で製造している蒲鉾は、機械で回る杵のついた石臼ですり身を作ります。白ぐちの身に塩、砂糖など調味料や卵白などを加え、臼の中の温度が上がらないよう氷の塊を入れながら、職人が手で身の具合を確かめて擂りあげます。この時無澱粉蒲鉾の場合はつなぎの澱粉を入れずに擂ります。技術が要る仕事です。ちなみにつなぎを使う場合は澱粉を用います。次にそのすり身を目の小さい裏ごしの機械にかけ、細かいすじや皮などを除いたきれいなすり身にします。淡い光沢のあるきめ細かいものになったすり身を成型機で例の蒲鉾型に成型し、木のせいろに並べて蒸せば出来上がりです。説明は簡単ですが作るのは大変。経験と勘が必要です。そこでこんな話があります。NHK出版の「名品流転」という本は、膨大な日本美術の名品が明治維新以降なぜあれほど米国に渡ったかについて書かれた興味深い本ですが、その中に明治27年、収蔵品の整理という名目で岡倉天心がボストン美術館に招かれて、随行した横山大観、菱田春草らと米国で生活する様子が描かれています。ある日親しい人たちを招いて日本料理でもてなすことになり、大観と春草は知恵を絞り蒲鉾を作ることになりました。たらの身を胡椒を砕く鉢を使って擂り潰し、うどん粉を加えて苦心の末に蒲鉾を作ったという話が出てきます。江戸時代の蒲鉾の並品に大坂では浮き粉(小麦くず)、江戸では米粉を使ったと記録にあります。目利きの芸術家があえて並品を作ろうとしたとは考えにくいのですが、たらの身がうまくまとまらず仕方なくうどん粉を入れたのではないでしょうか。大汗をかいた大観、面白いエピソードです。
●蒲鉾の製造工程
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@石臼ですり身を作ります。無澱粉蒲鉾はつなぎの澱粉や水を加えずに擂ります。そうすることで昔ながらの弾力(こし)がうまれます。 |
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A裏漉し機です。擂りあがった身を特注の目の細かいこの裏漉し機にかけます。目が細かいとすじで残る分が多くなり、歩止まりは悪くなりますがより良いものが出来ます。 |
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B蒲鉾成型機です。
裏漉し機にかけた後、もう一度臼で軽く擂ってなめらかにしたものを、この成型機に入れます。写真の真中右側の円錐形の部分に下身と呼ぶ、写真の蒲鉾では白い部分の身を入れます。その左隣りの小さめな円錐形の部分には上身又は塗り身と呼ぶ、同原料を少し柔らかくして上にのせる身を入れます。この写真では紅色の部分です。白い蒲鉾の場合は白い塗り身がのります。このふたつの身が一緒になっていわゆる蒲鉾のかたちを作る部分が写真では茶色の口金といわれる部分です。 |
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C自動切断機で切断します。以前は手作業で切っていましたが、これにして作業効率が良くなりました。 |
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D切断されたものを検品しながら手作業でせいろに並べます。せいろは昔ながらの木のせいろを使っています。 |
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E先に置いたせいろと後のものを入れ替えたり、蒸気を調整しながら蒸します。この昔ながらの方法は今ではあまり見かけることがありません。 |
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F出来上がりです。これを放冷室で充分にさましてから、一枚づつ検品しながら手作業で包装します。 |
●工場の中です。

工場外観。
工場は本店の裏にあります。 |

ごぼう巻製造中。
ほとんどがこのように手作業で作られます。 |

左の仕事場の洗浄後。右側手前の油漉し機は10年使っていますがいまだにピカピカ。 |

ごぼう巻で使う板の洗浄後。 |
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放冷室。
出来た製品は包装の前にここで充分さまします。中は殺菌灯付き。 |

蒸し場。
蒲鉾やはんぺんなと゛をここで作ります。 |

擂り場。
ここには石臼が3台ありすり身はここで作ります。 |

出来た製品をのせるトレー。 |

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